記憶の底に隠れる前に
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紅で染めてから黒を染めるのが『紅下黒』。
一見同じ黒でも、全く色合いが変わるのが面白いです。
その下にあるものが全然違うと、表面的には同じでも印象は違う。
何事にも言えることだと思います。
どれだけ辛い出来事でも、下に出来るだけ優しい色があることを願います。
絵画や彫刻といった最初から鑑賞されることのみを目的とした作品も好きですが、
建築・服飾・家具・食器類などの使用を考えたデザインに魅かれます。
1919年にドイツのワイマールに開校した美術学校『Bauhaus』。
その流れを汲む美術展に行ったところ、凄いカルチャーショックを受けました。
なんと言っても、無駄を徹底的に省きながら遊び心のある椅子。
しかも、数点は座ることが出来ました。
そこから観るほかの作品も可愛い。
銀色に光るのはケトルですよ。ただのやかん。
だけどちゃんと芸術しているんです。
これがあると生活が楽しいだろうなと想像がついてしまう。
出来ればこの家に住んでみたいと思ってしまう。
『使う』という広がりを持つものが芸術品となっている。
機能性とデザイン性と生活感の混在が愛おしいです。
逆に骨董品にはあまり興味がないです。
どういう人が使ってきたかは興味がありますが、ガラスケースに入った段階で、あれは鑑賞目的。
道具ものはやっぱり使ってあげないと可哀想だと思います。
目標二十話以内です。
『二十一話』になると、目次のバランスがさらに崩れていくからなんです(笑)。
最後までざっくりとは決まっているのですが、大体そのくらいでおさまりそうな気配が、
…あるようなないような。
目次が好きで、本を買うときもかなりポイント高いです。
数字だけの方が楽なのは分かっているのですが、小さなタイトルをついつい考えてしまいます。
タイトルと内容が一度に出てきてくれると、本当に助かるのですが、やっぱり毎回は無理ですね。
大抵は内容が先で、書きながらタイトルを決めています。
何文字以内とか、木へんの文字とか、一定のルールを決めているので、ちょっと難しいのですが、
回数を重ねるにつれて、ずらずらっと並んでいくと楽しい。
無駄なこだわりがそこにあります。
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高野寛さんの音楽に対する姿勢
Category すきなもの
高野寛さんの楽曲に出会ったのは、CMソングでした。
曲名は分からないけれど、そのフレーズだけは完璧に歌えてしまう。
そんな凄いインパクトがありました。
だけど、ネットで調べることなど出来ない時代。
店で歌う勇気のない私は再び偶然を待つしかありませんでした。
すきなものって偶然がついて回ります。
その曲も、忘れた頃にラジオで流れていて、即買しました。
数年後、リクエスト番組でご本人に名前をよんで頂けたときは絶叫しました。
それだけ好きだったのですが、次第に地球や自然に対するラヴソング的な流れが、女性に対するものに代わってきたので、少しずつ離れていきました。
そして、テレビでも高野さんを見かけなくなりました。
けれど、二年前。これも偶然なのですが、公式サイトを開いてらっしゃることを知りました。
懐かしさでお邪魔してみると、十年以上経っているのに全く変わらないお姿。
そして、あれからもずっと楽曲提供やコラボで音楽活動を続けておられたことにも驚きましたが、その姿勢がただただ真っ直ぐでカッコいい。
自分の作品というより、誰かと音楽を楽しむ瞬間を大切に愛しんでいることが言葉の端々に感じられて、一度離れてしまったことを後悔しました。
それと同時にものづくりに対する姿勢に学ぶところが沢山あるなと思いました。
好きなことをずっと続けられて、誰かと笑いあえたら、それでいい。
私も、そうありたいと思います。
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マンウォッチングのススメ
Category 日常日記
アパレルの仕事をしていた頃に、先輩にマンウォッチングを勧められたことがあります。
流行を知るには、人の流れをただずっと見ているのが一番だと言われました。
一人ひとりをしっかり見るのではなくて、流れということが最初はつかめなかったのですが、次第に何となく分かってきました。
違うように見えてもパターン的に同じだったりするんです。ハズし方とか重さの置き方とかが。
持っている袋のロゴなんかも、いくつもかぶったりすると、ちょっと面白い。
時間が違うと、空の色が変わるように街を歩く人の色も変わっていきます。
それが同じ場所に立つ面白さだったんでしょうね。
今考えると、ただ、暇だったんでしょうけど(笑)。
今でも、気が付くとぼーっと人の流れを見てしまいます。
凝視しない分だけヘンタイ度は低いと思いますが、自己申告なので、ちょっと心もとないかも…。