記憶の底に隠れる前に
気になる言葉から日常話まで
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素麺の季節になると「差し水」という言葉を思い出します。
幸田文さんの著書だったと思います。
本そのものを読んだという記憶がないので、どこかで紹介されていたものを覚えているのでしょう。
「素麺を茹でる時、沸騰して湯が一気に吹き上がってくる。
それを見極めて、コップ一杯の水を入れる。いわゆる差し水。
そうすると吹き零れせずに、うまい具合に仕上がるのだ。
年頃の娘に対しての躾も差し水みたいなものだったのだろう。
吹き上がってきた情熱のようなものを冷ましてやることによって、吹き零れを防ぐ。」
うろ覚えですが、これだけの文章を覚えているということは余程印象深かったのだと思います。
その言葉を頭のなかで繰り返しながら素麺を茹でると、もやもやとした気持ちが差し水と一緒に抑えられていく気がします。
と言うわけで、素麺は私にとって「頭を冷やす料理」です。
幸田文さんの著書だったと思います。
本そのものを読んだという記憶がないので、どこかで紹介されていたものを覚えているのでしょう。
「素麺を茹でる時、沸騰して湯が一気に吹き上がってくる。
それを見極めて、コップ一杯の水を入れる。いわゆる差し水。
そうすると吹き零れせずに、うまい具合に仕上がるのだ。
年頃の娘に対しての躾も差し水みたいなものだったのだろう。
吹き上がってきた情熱のようなものを冷ましてやることによって、吹き零れを防ぐ。」
うろ覚えですが、これだけの文章を覚えているということは余程印象深かったのだと思います。
その言葉を頭のなかで繰り返しながら素麺を茹でると、もやもやとした気持ちが差し水と一緒に抑えられていく気がします。
と言うわけで、素麺は私にとって「頭を冷やす料理」です。
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